お昼前、ググってみたら、北海道ラーメンの店があると出たので・・・地下鉄東西線に乗ってやってきた。ついでにチョイと散策です。
「行徳」(千葉県市川市の一部)
江戸時代に行徳領といえば、浦安、南行徳、行徳、市川、船橋の一部を含む広大な地域だった。今では行徳駅前と本行徳という狭い区域の呼称になりましたが、それでも古くから住んでいる人達は、江戸川から葛西、浦安までの地域を一括して、今でも「行徳」と愛称している。
行徳の塩業はすでに千年以上も前から行なわれていたという。
当時の行徳は江戸川の形成したデルタ地帯で、その海岸線は東西線に並行して走るバイパスの辺りであったと考えられる。
当時の行徳は江戸川の形成したデルタ地帯で、その海岸線は東西線に並行して走るバイパスの辺りであったと考えられる。
(千葉県市川市のHPより。)
塩業、やっていたんですねぇ。今では影も形もうかがえません。それに、この地図を見ると・・・やたらとお寺や神社が多いです。
江戸時代から明治年間まで、
行徳・浦安に「行徳札所」と呼ばれる三十三ヶ所の観音霊場があった
本行徳の徳願寺を皮きりに、河原・稲荷木・高谷を回り、行徳街道を南下し南行徳、浦安に至り、堀江の大蓮寺を結願とする行徳領内を「のし」の字を描くような札所めぐりである。
本行徳の徳願寺を皮きりに、河原・稲荷木・高谷を回り、行徳街道を南下し南行徳、浦安に至り、堀江の大蓮寺を結願とする行徳領内を「のし」の字を描くような札所めぐりである。
上記は、同じく市川市のHPからの転載ですが、江戸市民のレジャーだったようですね。明治になって急速に衰えたそうです。