続・「たきび」 から 「忠臣蔵」へ (^^ゞ

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先ずは、おさらい!こちらをご覧下さい。 → 「たきび」(2009/11/7の記事)

この「たきび」と言う唱歌
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・・・だ、そうです。

場所とか、もう少し詳しい解説は 日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」のHP にありますし、中野区のHPにもあります。お立ち寄り下さい。(^^♪

かきねのかきねの♪ の「垣根」

この道を朝陽がまだ暖めやらぬ空気の中を・・・こども達が歩いて行ったのでしょうね。
左手に「かきね」を見て、この先を左手に曲がって行った・・・

その曲がり角で「落葉焚き」をしていたのでしょうか。
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てな・・・わけで、「現場」へ行って見てきました。(^^♪

さらに・・・「功運寺」へ

この童謡の作詞者・巽聖歌(本名 野村七蔵 1905~1973年)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した人で、多くの優れた児童詩を残しました。聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、功運寺のすぐ近く、現在の上高田四丁目に家を借りて住んでいました。(中野区のHPから)
とあるからには、雰囲気だけでも味わってこなきゃ!と思ってテクテクと。

え!そうなんだ!・・・
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歩けば・・・発見!!です。(^^♪

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吉良家のお墓を探しましたが・・・時間の制約(珍しい事ですが)もあって、見つけれませんでした。
林芙美子」さんのお墓も見かけました、綺麗なお花が備えてありました。
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皇居東御苑は旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸の場所。
ここには、こんな記録も・・・
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吉良さんが浅野さんにイジメをして
ある日、浅野さんがプッツンして・・・
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切りつけた場所ですね。
(一庶民の物語認識デス)














で、ちょっと見にくいかもですが「越前大野藩」云々とありますネ。
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福井県大野市の「故人」と、このお寺さん・・・どの様なご縁があるんでしょうね?
大野藩から江戸への長期出張で亡くなったのでしょうか・・・

また新たなる好奇心ですね。(^^ゞ

【吉良家 林芙美子 墓所 萬昌院】