蒸気機関車・・・懐かしいですね。
ボクの若かった頃・・・と言うより、ご幼少のころは、生まれ育った町、福井県坂井郡は北陸本線が突き抜けていて、蒸気機関車が走っていました。
北陸トンネルが開通すると同時に「複線電化開業」(1962年6月10日)となって、徐々に蒸気機関車が消えて行きました。中学生の頃か・・・
北陸トンネルが開通すると同時に「複線電化開業」(1962年6月10日)となって、徐々に蒸気機関車が消えて行きました。中学生の頃か・・・
今では、記憶が怪しくなってますが、小学校だったか、中学だったか・・・国語の教科書にこんな「詩」が載ってました。
この「詩」・・・柄にも無く結構好きなんですよね。
「 機 関 車 」 中野重治
彼は巨大な図体を持ち
黒い千貫の重量を持つ
彼の身体の各部は悉く測定されてあり
彼の導管と車輪の無数のねじとは隈なく磨かれてある
彼の動くとき
メートルの針は敏感に廻転し
彼の走るとき
軌道と枕木と一せいに振動する
シャワッ シャワッ という音を立てて彼のピストンの腕が動きはじめるとき
それが車輪をかき立てかきまわして行くとき
町と村々とをまっしぐらに馳けぬけて行くのを見るとき
おれの心臓はとどろき
おれの両眼は泪ぐむ
真鍮の文字板を掲げ
赤いラムプを下げ
常に煙をくぐって千人の生活を搬ぶもの
旗とシグナルとハンドルとによって
輝く軌道の上を全き統制のうちに驀進するもの
その律儀者の大男の後姿に
おれら今あつい手をあげる
(「中野重治詩集」『現代文学大系36』、筑摩書房、'66)
(この部分は、「はな・ひと・こころ」さんのHPから複写させて頂きました。)彼は巨大な図体を持ち
黒い千貫の重量を持つ
彼の身体の各部は悉く測定されてあり
彼の導管と車輪の無数のねじとは隈なく磨かれてある
彼の動くとき
メートルの針は敏感に廻転し
彼の走るとき
軌道と枕木と一せいに振動する
シャワッ シャワッ という音を立てて彼のピストンの腕が動きはじめるとき
それが車輪をかき立てかきまわして行くとき
町と村々とをまっしぐらに馳けぬけて行くのを見るとき
おれの心臓はとどろき
おれの両眼は泪ぐむ
真鍮の文字板を掲げ
赤いラムプを下げ
常に煙をくぐって千人の生活を搬ぶもの
旗とシグナルとハンドルとによって
輝く軌道の上を全き統制のうちに驀進するもの
その律儀者の大男の後姿に
おれら今あつい手をあげる
(「中野重治詩集」『現代文学大系36』、筑摩書房、'66)
この「詩」・・・柄にも無く結構好きなんですよね。
札幌に来る直前の秋に、今庄から敦賀までの旧国鉄線路を歩く催しに参加しました。
このときにも、自分の体力の衰えを痛感したものです。ただ歩いている分にはいいのですが・・・一旦坂道にかかると、息も絶え絶え・・・歩が進みません。いやいや参りました。
この時の周りの人の会話に、「機関士は早死にだ」って言ってました。今庄とか敦賀は機関車の集積地で、沢山の機関士の方々が居られたようです。今で言う「塵肺」だったのでしょうか・・・仕事柄モクモクと吐く石炭の煙を長年吸い続けていたんでしょうね。そんな事を今、ふと思い出しました。