晩秋の京都(12/4)銀閣寺 -- 臨済宗相国寺派 --

12月4日 朝一番は、ここ。
予定はテンコ盛りに組んであったが・・・ヤサカタクシーの安久ドライバーさんのアドバイスに従って出発です。   
 
銀閣寺」
 
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銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。
義政公は、祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿金閣鹿苑寺・ろくおんじ)にならい、隠栖生活を過ごすため、山荘東山殿を造営。この東山殿が銀閣寺の発祥である。
東山殿は、義政公を中心に形成された東山文化の発祥地であり、日本人の近世的生活文化の発端をなしている。今もなお、銀閣寺には東山文化と禅宗文化の結合をみることができる。(パンフレットより。)
 

 
開門は9時。
9時15分頃に着きましたよ。観光バスはまだ着いていなくて静かな雰囲気でした。

哲学の道」を少し歩いて・・・銀閣寺へ向かいましょ。

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哲学の道(てつがくのみち)
京都市左京区にある小道である。
南禅寺付近から慈照寺銀閣寺)まで、琵琶湖疏水の両岸に植えられた桜はみごとで、春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。
哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされており、1972年(昭和47年)に正式な名称となった。日本の道100選にも選ばれている散歩道である。

現在の石川県かほく市森(旧宇ノ気町森)に、西田得登(やすのり)、寅三(とさ)の長男として生まれる。西田家は江戸時代には十村(大庄屋)を務めた豪家だった。若い時は、肉親の死、学歴での差別(東京大学における選科への待遇)、妻との一度の離縁など、多くの苦難を味わった。そのためか、大学を出た後は故郷に戻って中学の教師となり、同時に思索に耽った。その頃の思索が結晶となって、著名な『善の研究』(弘道館、1911年1月)となり、旧制高等学校の生徒にとって必読書となった。
鎌倉にて、尿毒症により急逝。法名は曠然院明道寸心居士。(Wikipediaより。)

そうなんです 石川県にご縁がありましたね。

世界文化遺産 東山慈照寺(通称「銀閣寺」)

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イメージ 4観音殿(銀閣) 【国宝】 
 
鹿苑寺舎利殿金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。
二層からなり、
一層の心空殿は、書院風。
二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。
閣上にある青銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。
(パンフレットより。)
 
 
 
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 東求堂(とうぐどう) 【国宝】
 
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