かなり前から『何で戦争したんやろか?』という疑問を持っていた。
・・・そう、もうかれこれ三十年ほど持ち続けたかな。
これを読んだからといって解決した訳ではないんですけどね。
1960年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。
歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。
満州事変から敗戦までの十五年、政府と軍部が繰り返した”誤算”とは・・・
ターニングポイント② 日米開戦 1941年(昭和16年)
ターニングポイント④ 熱河侵攻 1933年(昭和8年)
「事変」と「戦争」って・・・そんな思惑だったんだ。
事変
事変(じへん)とは、広範の非常事態や騒乱のこと。「事件」よりも規模が大きい。宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる。
実質的には国家間の戦争状態であった満洲事変や支那事変などが「事変」とされたのは、国際連盟規約や不戦条約(1928年)で国際紛争を戦争で解決することが禁じられており、「戦争ではない」として国際的批判をかわしたい日本政府と、アメリカなどの名目上は中立である第三国からの支援を受けなければ戦争を継続できなかった中華民国側双方の思惑が一致したためである。
取り敢えず、思いついた単語を並べておこう。
明治以降に台頭した財閥
日清・日露戦争でかもし出された「不敗神話」
アメリカ合衆国の財力、産業力、政治力・・・国際間での抑止力
まだ健在だった帝国主義
それにしても何故日本は中国大陸を目指さなければならなかったのだろう?
望んだのは誰?
謎は解けない。