富山特派員だより「春の呉羽山」

今日の富山特派員便りです。
福井も日中は天気予報とはうらはらで、日中は暖かい日でした。
富山もその様です。
 
松川の桜は散り始めた?ので、呉羽山へ行ったそうです。
 
富山市郊外の呉羽山にある長慶寺の境内裏の東斜面に、おびただしい数の石仏が立山連峰を遥かに望むように建っています。木立の中に静かにたたずむ羅漢様は立像、座像とその形態は様々ですが、石燈篭をはさんで整然と並ぶその表情はみな穏やかで、訪れる人の心を和ませます。羅漢様の表情はひとつひとつが違っていて、同じ顔は2体とないと言われます。この付近一帯は桜の名所で、桜の季節には地元の人々や大勢の観光客で賑わいます。この石仏は、今から200年ほど前の寛政11年(1799年)、富山城下の米穀商兼回船問屋、黒牧屋善次郎が先祖の供養にと寄進したもので、まず初めに16体の羅漢像を建立し、その後は広く篤志を募り、次第にその数が増えました。こうして石仏を建立し終えたのは実に約50年後だったといわれます。500余りの石仏を彫刻して呉羽山の中腹に運ぶ作業は困難を極めたと伝えられています。(富山市観光ガイドより転載)
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 枝垂れ桜。 色合いが好いです。 
 
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五百羅漢(富山市指定史跡)

 
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五百羅漢は、長慶寺境内の木立の中にあり、一体一体の間に 石燈籠をはさんでいます。各尊像は、坐像・立像と変化に富みながらも高さが統一されています。
これらの石仏は、寛政11(1799)年富山城下で米穀商と廻船問屋を営む、黒牧屋善次郎という豪商が先祖の供養にと十六羅漢像を寄進したのが始まりです。寛政年間から寛永年間までの約50数年の間、佐渡の石工の彫った尊像が北前船日本海域の交易を担った廻船)によって運ばれ、500余体健立されたと伝えられています。
この五百羅漢は、江戸時代の羅漢信仰や北廻りの交易船航路と流通経済圏の問題を考える上で貴重な史跡であり、市内の代表的な観光名所でもあります。 (富山市民族民芸村HPより転載)
ここのところ、寒暖のさが激しくなってます。
体調管理、重要ですね。