今年の夏は(も)格段に暑い。しかも・・・まもなく九月だというのにとめどない暑さが続いている。
もちろん、冷たいビールは進むが、読書は捗らない。
炎天下を走るマラソンランナーよろしく、久し振りに「読了」した。
倒れるかと思ったぜ。
浅田次郎のエッセイ集ですね。
このセンセイの本は面白いので読み続けているが、本格的な小説はまだ読んでいない。
遠い将来、センセイが「大先生」と呼ばれる頃に、時の文学青年達がセンセイの生い立ちや生活の様を研究するには良い材料になるかも知れないですぞ。
読み進むうちに、おおなるほどとか、いいね!とか思ったところのページを折り曲げておいた。後日の為に・・・(暇もあるし)抜粋しておきますかな。
行く夏の庭にて(MAQUIA 2007/10月号)
幸い人間は、過去の経験をなきものと決めつけることのできる唯一の生き物であるから、五十の甲羅を経て晩夏の庭に佇むまで、別れた人の記憶に苛まれることはほとんどない。
別れた人云々はいいとして、ボクも相当「なきもの」にしてきたなぁ。忘れたことすら気付いていないことも多々有るらしい。
尾張町の十文字(『百点満点』 1996/9月号)
祖父や祖母は、銀座四丁目の交差点を「尾張町の十文字」と呼んだ。
これ、このブログで記事にしました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/kenta0312/38328487.html
「よそいきの街」は今(『朝日新聞 』2006/9月28日夕刊)
私の祖父は二の腕に彫物を入れた博打打ちで、祖母は深川の鉄火芸者だった。
浅田次郎さんって、凄い出自ですね。
だから競馬に目がないのでしょうか?
お買物天国(MAQUIA 2005/9月号)
食料品や日用品はちまちまと買うに超したことはないが、おしゃれのための買物はその行為自体が楽しいものでなければならない。生きてゆくためにどうしても必要なものを買うわけでないのだから。買う物よりも買い方に意味がある。それがショッピングの醍醐味である。
こんな「気持」で買物したいもんだ、宝くじ当ててからですな。
星と口笛(MAQUIA 2006/8月号)
もし人間が何ごとかを星に願うとするなら、それは「星の如くありたし」と言う誓いのほかはなかろうかと私は思う。
誓わずに願うことを「わがまま」という。子供のころならいざ知らず、大人になってからもわがままを言い続けていたのでは、何ひとつ思うところは実現するまい。
なるほど。
そう言われれば「誓った」ことは今までにないかもしれない。
今度の宝くじのときは、まず「誓おう」そして当たることを「願おう」
正月の記憶(MAQUIA 2007/2月号)
ともかく私は、芝居でも映画でもなく、実生活の中に存在したおはぐろの、最後の目撃者ではあるまいか。
あ~、ボクの祖母もよくおはぐろしてました。なので、最後はボクだと思います。
正体(MAQUIA 2005/3月号)
読者にはまったく意外な話であろうが、私は作家になってからもしばらくブティックを経営していた。
婦人服業界には三十年近くもいて、(中略)
平成十五年の暮のバーゲンを閉店セールとして、手じまいにしたのである。
ほんま、知らんかったぜ。まぁ、その頃は浅田次郎も知らなかったかな。
過ぎにし夏(MAQUIA 2006/10月号)
刊行册数が多ければ、付帯業務もそれだけ増える。仕事はすればするほど片付くのではなく、実は増えるのだということに、このごろようやく気がついた。
そうそう、ボクもいつぞや気が付いた。なので、忙しさを避けるには、人任せにするのが良い・・・
蛍窓(MAQUIA 2007/9月号)
そうですか。