忙中閑あり・・・はは、いつも閑有ります。

年末ですね。
こうなってくると、一握りのサラリーマン根性は「年末のご挨拶」とか称して得意先回りを始めます。
行けなかったからと言っても、どぉ~ってこともないのだろうけど・・・「あそこも、ここも」って、脅迫観念に取り憑かれます。

ここ数日の記録をしておこうかな。

12/14 福井県発祥の焼き鳥屋「秋吉」ともう一軒で沈没

イメージ 1福井ではお馴染みの焼き鳥屋さんです。県内はもとより北陸三県にお店をだしてます。( 秋吉のHP
その勢い衰えず、いつのまにやら、東京でも11店舗を構えてますね。

行ったのは荻窪店」
ここで呑みながら札幌の「串鶏」での出来事(2006/3/6) を披露してました。
いい加減呑んでから移動です。

で、連戦連勝の勢いで向かい側のビルへ・・・
おいおい、札幌の「串鶏」の暖簾があるぢぁ~ないか。「串鶏」のHP
呼び込みのオネエチャンと少しお話し
・・・でも、今日は焼き鳥はもういいや、次だなってことで別の居酒屋へ。

ここが・・・命取りだった。
福井の美味しいお酒「黒龍のしずく」が入荷とのご案内に飛びついた。
気が付いたら、一升瓶が空になっていた。

帰り道、足と腰に来て・・・何度かすっ転んだんでしょうねぇ。
痕跡が残ってましたわ。
 

12/15 午前中。酒気帯び勤務・・・!?

イメージ 2
朝のお目覚めは・・・普通だったかな。
でも、酔っ払いのマンマ。
それでも、午前中はアチコチ駆けずり回ったので少しかはアルコール分解した様で、
 
 お昼はこれだ、牛タンと麦とろ。
  ウン、美味かった。

 
 

12/14 午後。「長谷川等伯展」(出光美術館)へ

人生の先輩から、予てよりお誘いを頂いており、楽しみにしておりましたヨ。
(って、聞いた時はどんな作品だろか??と言う具合だった、のですが・・・
 
でもね、ハセガワトウハク??
どっかで聞いた名前だった。
近代美術家?かな・・・なんて思ったりもしていたんですが、全然違いましたね。
正式な展示会の名称は「長谷川等伯狩野派」ですな。イメージ 6

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会場に行って、説明書きを観たとき 忘れたいた記憶が少し蘇りましたよ。
お~お~、そう言えば、金沢では何度か聞いたし、
七尾に出かけた時は、何度見ても場違いな建物の立派さに違和感を覚えたもんだった。
(下の地図の場所です。)

 

天文8年(1539年) - 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。
 
天文8年(1539年)、能登国七尾(現・石川県七尾市能登国戦国大名畠山氏に仕える下級家臣、奥村文之丞宗道の子として生まれる。幼名を又四郎、のち帯刀と称した。幼年期に染物業を営む長谷川宗清の養子になったと言われる。養家は染物業を営みながら仏画も描き、養祖父や養父の仏画作品も現存している。はじめ長谷川信春を名乗り、七尾を中心とした能登地方で、自らも生涯を通じて熱心な信徒であった日蓮宗関係の、仏画肖像画などを描いていた。
 
その後、京に出て狩野派のライバルとして活躍したんですね。(Wikipediaより)




ここに至って、またまた勉強させて頂きました。
先輩!!ありがとうございます。m(__)m またお願い致します。

出光美術館のある建物から窓越しに皇居がみれます。
 
イメージ 5
 
さて・・・
美味しいコーヒーでも飲みに行きましょか。