定期観光バス 南部方面 「首里城」

イメージ 23沖縄の歴史と首里城については
こちらのページで簡潔に説明されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沖縄(琉球)について
12世紀の頃「按司(あじ)」とよばれる豪族達の群雄割拠。
1429年 尚巴志(しょうはし)が統一権力を確立。琉球王国の始まり。
1469年 クーデターにより政権交代有りも「尚王家」を継承。
1609年 日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球に侵攻し首里城を占拠。
     それ以後270年間にわたり琉球王国の表向きは中国の支配下にありながら、
     内実は薩摩と徳川幕府の従属国であるという微妙な国際関係の中で
     存続していた。
1879年 明治政府が首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放し
     沖縄県の設置を宣言したことで、琉球王国は滅亡となる。
 

 
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守礼門」から城内に進みます。
 
門前は記念撮影スポット・・・こんな沖縄衣装を纏った女性が飛んで来ますね。
 
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 「歓会門」へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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階段を上がって行きます。
「瑞泉門」が見えます。
 
夏の空だ。
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「龍樋(りゅうひ)」
瑞泉門の手前右下にある湧水、国王一族の大切な飲料水だったそうです。
 
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「漏刻門」「広福門」とくぐって行きます。途中に日影台があります。
 
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首里森御嶽」(すいむいうたき)
城内で格式の高い拝所の一つ。ガイドさんの話しではパワースポットらしい・・・何の??
 
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「正殿」
 
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琉球王が座した「玉座」と「冠」

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 「御庭」 左側は、宮中行事の模様。右側は「冊封使」を迎える様子。

※「冊封使」(さっぽうし)
中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節をいう。
朝鮮、越南琉球等の付庸国国王が新たに即位する際、それを認める勅書等たずさえ、冊封使が派遣され、その国の国王中国王朝皇帝から授けられるという形で詔勅祭文冊封使から与えられる又は朝貢する際にその勅書を付庸国の使者が受け取ることで中国王朝皇帝とその国王の君臣関係が成立する。冊封使品位は、朝鮮に対しては正三品以上。それ以外は正五品以下従七品以上であった。(Wikipediaより)
 
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中国王朝の「付属国」・・・かぁ。う~む、だね。 


 
満喫しました、琉球の風・・・さて、撤収しますか。
夏だなぁ~
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イメージ 19下り坂の帰路・・・
 
ここは上陸して来た米軍と日本陸軍第32軍の熾烈な戦い(1945年 沖縄戦)が行われた場所でもあります。
 
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(そのひゃん・うたき・いしもん)
 
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