14:46 東日本巨大地震の「日」の記録

【12日の午後に追記しています。】
 
 一夜明けて、報道陣も被災地に入り、生々しい映像が流されています。
「壊滅的被害」と言う言葉が生々しいです。
地震の揺れもさることながら、津波の猛威に晒された海岸部の都市・・・大変な事態になってます。
 

 
この時、ボクは日本橋の地下一階にある喫茶店に居ました。有り体に言えば「おサボり」です。
 
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携帯電話の着信履歴を見ると・・・
14:48
一人で留守番している娘の長男(小3)から「怖いよ!助けて!」という電話が着信しました。慌てて地上に出て、電話で励ましながら・・・少し揺れが収まるまで話していました。
 
地上では高層ビルが揺れにまかせてゆらりゆらりと「しなって」いる風景です。
この光景には、大人でも・・・恐怖心です。
 
 
 
この後、電車は止まっているだろうとは思いつつも東京駅に向かいました。
途中、窓ガラスが歩道にばらまかれている場所もあったり・・・
 
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実際、このビルの窓ガラス(赤い丸内)も割れていました。
次の揺れが来るとさらに落ちるな・・・と思いながらやり過ごしました。
 
やはり、電車は全面ストップです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東京駅日本橋口で一旦立ち止まって・・・熟考です。 
その間に、二度目の揺れが来ました。
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すかさず高層ビルの揺れをiPhone4で写したのですが・・・はは、自分が揺れているせいだと思います。
 
 
 
熟考のあと、会社に携帯でメールを送りました、「日本橋なう」と。 (15:17)
届くのかどうか?読んでもらえるのかどうか不安でしたが・・・暫くして返信がありました。 (15:44)
一安心です。
直ぐに上司に携帯を入れました。 (15:55)
今考えれば、通話規制の間隙をぬって繋がったのだと思いますが、「会社はどうですか?ワタシはこのまま足立に向かって歩きます。」と宣言して歩き出しました。
 
こんな経路を辿りました。(15:20 頃東京駅日本橋口出発、19:15 頃自宅着です。)
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(上の画像をクリックすると、GooglMapのマイ・マップに飛びます。)
 
 
 
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街中には「避難訓練」通り、ヘルメットを身に付けた人達も建物外部に避難しています。
 
こうした経験をすると、「訓練」の必要性が改めて認識されます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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こちらにも沢山の「避難社員」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10この後はせっせと歩いて・・・
 
秋葉原駅で電車の動向を確認。
まだ動いていません。
駅の売店で、
雨が来そうだったのでビニール傘と
途中のエネルギー補給用として、飲み物&アンパンを調達です。
 
(結局食べずに自宅まで持って帰りました。)
 
 
 
16:40 頃、長女の勤めるこども園(幼稚園と保育園を合体させた施設)に立ち寄ってお互いの無事を確認し、帰り道のアドバイスをして再び歩き始めました。
・・・笑ったのは、あの娘がヘルメットをかぶって園児を保護している風景です。
ヘルメット姿に笑って、保護している姿に・・・大きくなったもんだと、ひとりごち。
 
 
 
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浅草のコンビニで携帯の電池が危うくなってきたので充電池を調達しました。
(17:05)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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今朝(3月12日)の新聞によれば、
東京タワーの先端がぐにゃりと曲がったしまった様ですが・・・
 
下町のタワーは、見た目は雄姿を晒していました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ようやく都バスの終点「足立梅田」に到着です。
浅草で乗り込んだのが 17:20 過ぎでしたでしょうか・・・1時間40分程のバスでした。
 
ここからは、電車であれば一駅ですから
歩いても知れたものです。
 
 
 
全行程の距離は、
15.3Km
(バス路線がやや遠回りのコースなのです。)
 
今回は、そのうち7.4kmがバス乗車でした。
徒歩の距離は7.9Km
(万歩計は、21,631歩を指していました。)
 
 

 
家に入ると・・・
結構暴れていました。
 
大物被害は、背の低い箪笥がひっくり返っていて、その上に載せておいた小さな仏壇ごと・・・灰をまき散らしておりました。
物損は・・・特に無しです。
 
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