確か・・・昭和51年の初夏の頃に東京に異動して、平成9年の12月一杯まで居た東京。
その間、まぁ、子供たちも小さかったし・・・古い町には興味が無かったのかも知れない。
その間、まぁ、子供たちも小さかったし・・・古い町には興味が無かったのかも知れない。
・・・で、この歳になって再びの東京暮らし。それ程忙しい日々では無いし・・・(^^ゞ
目前の問題は・・・そうですねぇ~、これだけは今も昔も変わりません・・・貧乏暮らし。(苦笑)
目前の問題は・・・そうですねぇ~、これだけは今も昔も変わりません・・・貧乏暮らし。(苦笑)
そんな中で、浅草でも行って見るか!!羽子板市って・・・見たことないし、
お約束の景色、「雷門」です。北海道や北陸の皆さんには・・・この空、目の毒かも m(__)m です。(^^ゞ
「羽子板」子供の頃、その遊びは一枚板で作ったものでしたが知ってます。でも、やはり女の子の遊びと思ってました。
・・・(略)
羽根つきは古く室町時代から行われた遊びで、500年ほど前の永享年間には、初春を寿ぐ遊びとして、宮中で男組女組に分かれて競技をしている記録が残されています。その頃にも羽子板には松竹梅や花鳥の図を描いておりましたが、江戸時代に入ると押絵細工を応用する様になり、浮世絵画家も応援して、図柄の構成や色彩も華麗になりました。更に江戸末期、当時流行の歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を貼り付ける様になってからは、江戸の女性の爆発的な人気を集め、殊にその年の当り狂言の人気役者の羽子板がずらりと並んだ浅草観音の羽子板市には、江戸中の女性が胸をときめかせて出かけたと云われております。
又、羽根は生まれた児が邪気をはねのけ、すこやかに育つ事に通じますので、昔から女児の出産には必ず羽子板を贈る習わしがありました。子供の成長を願って羽子板を贈り、はねつきをして新春を寿ぐ、まことに日本的な心根やさしい、美しい風情と申せましょう。
(浅草観光連盟HPからの一部転載です。)
「羽子板に値札はかかっていないことが多い。お店の人に尋ね、自慢の口上を聞くのも風情というもの。」
そうなんです。値札なんかは付いてません。でも、片耳で聞こえる相場から想像すると・・・
やはり、一万円札に羽が生えて飛んでいきそうな値段ですネ。縁起物ですから。(^^♪
大きなものでそれなりに手が込んでると・・・どうでしょう??
少なくとも五枚?もっとかな?・・・覚悟ではないでしょうか!?
そうなんです。値札なんかは付いてません。でも、片耳で聞こえる相場から想像すると・・・
やはり、一万円札に羽が生えて飛んでいきそうな値段ですネ。縁起物ですから。(^^♪
大きなものでそれなりに手が込んでると・・・どうでしょう??
少なくとも五枚?もっとかな?・・・覚悟ではないでしょうか!?
買うなら・・・ココ!!ですか^_^;
これで・・・ぬる燗と程よい風呂でもあったら・・・そのままゴクラクに行ってしまいそう。(^^♪ |