ラジオ・・・聞きますか?  連想ゲーム始めます。(^^ゞ

今週末・・・金曜日でしたでしょうか、通勤電車の中吊り広告(だったかな?)で、在京ラジオ局が集まってのコマーシャルを見かけました。『ながら族してますか?』的なアピールだったと思います。

 

そうですね、いまやテレビを「ながら」でつけっ放し、ってのが多いのではないですかネ。
かく言うボクもそんな風なんですが・・・(^^ゞ

 

昨日は、近所のヤマダ電機へ買い物に車ででかけました。今では、ラジオはもっぱら車の中でしか接しません。
そんな運転しながらの会話の中に久米宏の番組が耳に入ってきました。
荒川洋治?・・・ほぉ!福井出身かぁ、ん?三国ねぇ・・・同じ学年かぁ。
うんうん!、三好達治は確かに三国の料亭に住み込んでたんだよなぁ・・・聞いたことあるぞ。
えぇ~!? 高見順も三国だったっけ、そうなんだ~、あら!高見恭子はその子供?そうなんだ。
おお!俵万智、んだ、こいつは藤島高校だったな、田原町?「たわらまち」かぁ・・・っはは、なる程

ってな具合に、聞き入ってしまいました。(^^♪
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そこで、福井県三国町の位置案内と登場人物を! 余計なお世話^_^;

久米さんが「片山津って福井県でしたっけ?」って言った時は・・・反射的に『違う!』と言ってしまいましたが・・・確かにそこに馴染みがないとそう簡単に位置関係は理解できないですよね。(ちなみに、片山津は石川県です。)
いまだかって、北海道内の地名の位置関係は怪しいまんまです。

 

で、「三国町」、今では平成の町村合併で「坂井市三国町」となっていますが、この地図では大きな川(九頭竜川)の河口に「三国港」とある辺りがそうです。名勝「東尋坊」が近くにありますね。
古くからの港町です。例の北前船の往来でも賑わったところで、遊郭もあったりして栄えていた街ですので今でも旧町並は雰囲気があります。
港の隣は砂浜で子供の頃の海水浴と言えば、町内会で貸し切りバスを仕立てて行ったものです。(^^♪

 

そんな町でしたから、文人も集い・・・育む雰囲気がムンムンだったのかも知れません。
三国の観光案内は ここをクリック! です。
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「荒川洋治」このラジオで初めて知ったお名前ですので・・・詩とかに接したことはないです。(^^ゞ
ただただ・・・同郷繋がりって事だけです。この説明を見る限り、チト偏屈な詩人かもしれませんねぇ。
荒川洋治
福井県三国町出身。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。26歳で詩集『水駅』を刊行し、H氏賞を受賞、以後、多くの詩集・エッセイ・評論を刊行している。日本近代小説の読み巧者でもある。大阪文学学校、早稲田大学等で教えた。

『坑夫トッチルは電気をつけた』で、「宮沢賢治研究がやたらに多い。研究に都合がいい。それだけのことだ」と書き、一人の詩人に多くの研究者が群がる事態を批判するなど、党派にとらわれない鋭い指摘を、詩、エッセイの双方で展開している。長く務めた文芸時評では、大江健三郎や笙野頼子を厳しく批判するなど、微温化する文壇では異色の存在である。「詩人」ではなく「現代詩作家」を名乗る。

2006年11月14日、ラジオ番組『森本毅郎・スタンバイ!』内のコーナー「話題のアンテナ 日本全国8時です」において、名前の読みが本当は「あらかわ ひろはる」であることを明かした。26歳のとき、『朝日新聞』の「ひと」欄で「ようじ」とルビがふられたことから、自身もそう名乗るようになったらしい。
(「Wikipedia」からの抜粋して転載しました。)

 

「三好達治」「高見順」・・・ネットで見てみたら・・・何だか「週刊誌」ものの記事になったような・・・^_^; 
芸?の肥やしだったんですかね。
何か読みましたヨ・・・思い出せませんが・・・(^^ゞ
三好達治
・・・
若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫)である。
・・・
(「Wikipedia」からの抜粋して転載しました。)

 

高見 順
福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。阪本釤之助は永井荷風の父方の叔父であり、したがって荷風と高見順は従兄弟同士になるが、それにも拘らず互いに極めて険悪な関係にあった。

・・・
タレントでエッセイストの高見恭子は愛人に産ませた娘だが、死の2週間前に養女として入籍 衆議院議員でプロレスラーの馳浩は女婿
・・・
(「Wikipedia」からの抜粋して転載しました。)
金沢時代に馳浩、選挙がらみでよく見掛けました。そう、その横で控えていたのが恭子さんでした。
でも・・・この高見さん繋がりとは、このラジオで初めて知りました。^_^;

 

「まち」さん・・・なんでしたっけ?有名な・・・そうそう! 「サラダ記念日」ですね。
俵 万智
大阪府北河内郡門真町(現門真市)生まれ、同四條畷市、福井県武生市(現・越前市)育ち。2006年より宮城県仙台市在住。福井県立藤島高等学校から指定校推薦で早稲田大学に入学し、1985年に同大学第一文学部国文学科卒業。

福井市の田原町駅の駅名標には平仮名で「たわらまち」と書かれている。俵万智は高校生のときに武生市から福井県立藤島高等学校に通う際、田原町駅を利用していた。そのため駅名にちなんだペンネームではないかと言われることがよくあるが、れっきとした本名である。高校時代は田原町駅のおかげで他人から名前をすぐ覚えられたという。
(「Wikipedia」からの抜粋して転載しました。)
俵万智・・・ペンネームではなかったんですね。いつだったか・・・この「たわらまち」から名付けたというような事を聞いたような・・・?? 本名だったんです。
「田原町駅」は間違いなく存在しております。(上の地図参照)

「俵万智」からの連想・・・

「俵万智」と言えば、故郷「丸岡町」のこれがあります。「新一筆啓上賞」
 
 「この賞は、同町にゆかりのある徳川家康の忠臣 本多作左衛門重次が陣中から妻にあてて送った手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」にちなむものです。「お仙」とは、後の越前丸岡藩主 本多成重(幼名仙千代)のことで、日本で最も古い天守閣をもつ丸岡城に、この手紙文を刻んだ碑が立っています。」  丸岡城は2009/4/12の記事をご覧下さい。

 

かつては、この審査員をしておられました。
一番最初は「日本一短い母への手紙」で、これは涙無しでは読めませんデス。
今では、以前の「一筆啓上賞」で10回、新一筆啓上賞になってからは、7回を数えています。
 第7回の選考委員
  •井場満(住友グループ広報委員会事務局長)
  •小室等(シンガーソングライター)
  •佐々木幹郎(詩人)
  •中山千夏(作家)
  •西ゆうじ(作家)
     ※ 第7回新一筆啓上賞の募集は締め切りました。



で・・・さらに、連想・・・何で?住友??

「(財)丸岡町文化振興事業団」のホームページから引っ剥がしてきました。(^^ゞ
住友家のルーツが丸岡町にある???
知らなかった・・・けど!!
イメージ 2丸岡側で勝手にこじつけてるんじゃないか?と疑って・・・(^^ゞ
↓ 「住友グループ広報委員会」のHPです。

www.sumitomo.gr.jp


そんなような記述が間違いなくありますねぇ~♪

 

そうだったんだ。イメージ 3



・・・はは、よく勉強したなぁ~。おそまつさまでした。m(__)m