ネットで調べてると、神田川の上流辺りは「江戸川」と呼ばれていた・・・とか、旧称が「江戸川」である、とか・・・イマイチ分かりませんが、この辺りの秋色です。(^^♪
今日も東京は小春日和♪
ここは・・・一つ、タンサク、タンサク!! (^^ゞ ハナクソにも満たないような「用事」を作って・・・イソイソと
ここは・・・一つ、タンサク、タンサク!! (^^ゞ ハナクソにも満たないような「用事」を作って・・・イソイソと
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すべての写真 です。
結婚式場もありますし、接待には良い雰囲気の料亭もあります。
・・・40代の頃だったでしょうか・・・盲蛇に怖じず、だったんでしょうね・・・客先をご招待して会食をした事が何回かありました。^_^;
無鉄砲な若造?だったんですねぇ~(^^ゞ
椿山荘の庭園(B地点)
ここの庭も綺麗だった記憶がありました。通り道にあたる川べりの「冠木門」からお邪魔しました。(^^♪結婚式場もありますし、接待には良い雰囲気の料亭もあります。
・・・40代の頃だったでしょうか・・・盲蛇に怖じず、だったんでしょうね・・・客先をご招待して会食をした事が何回かありました。^_^;
無鉄砲な若造?だったんですねぇ~(^^ゞ
沿 革
武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。明治の元勲である山縣有朋が1878年(明治11年)に私財を投じてこれを購入し「椿山荘」と命名した。
1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。戦災で一部が焼失したが、1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、その後1万余の樹木が移植され、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された。そして1992年(平成4年)に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業した。2006年(平成18年)5月には藤田観光の本社が敷地内に移転している。(Wikipediaよりの転載です。)
詳しい事はホームページがあります。 → 椿山荘HPへ武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。明治の元勲である山縣有朋が1878年(明治11年)に私財を投じてこれを購入し「椿山荘」と命名した。
1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。戦災で一部が焼失したが、1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、その後1万余の樹木が移植され、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された。そして1992年(平成4年)に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業した。2006年(平成18年)5月には藤田観光の本社が敷地内に移転している。(Wikipediaよりの転載です。)
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※ ここまで来て・・・目が・・・閉じます^_^; あとは・・・土曜日って事で。
この場所に「追記」します。
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関口芭蕉庵(C地点)
実は、ここが目的だったんです。前回は2009/10/14でした。この折に、管理しているおじさんに紅葉の時期を聞いていたのですが・・・今年は、ぐずぐずと暖かい日も続いたので、もうこの辺りでお仕舞いかもね、との事でした。
殊のほか、都内の紅葉が進んでいます。ここ2、3日のお天気で加速度が付いたようです。いや、いや♪ 良かった。(^^♪ |
・・・実は・・・この後に、また出くわしました。別途UPします。