久々に富山は高岡市。 「雨晴海岸」 「二上山」 「大伴家持」

【この記事は 2009/11/16 に追記してます。】
この土・日は、普段の行いが良過ぎたせいか・・・^_^;  雨ばかり。

先ずは、「雨晴海岸」(11/14)

一瞬の雨が止んだ時に海岸に出てみました。もし!・・・
お天気が良ければ~~~
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こんな景色が見れた筈なんですけどね。立山連峰が一望できたハズなんですが・・・ダメでした。
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 ※ 駐車場の看板を撮りました。(^^ゞ

お次は、高岡市の紅葉の見所♪「二上山」へ

この辺りにも、熊さん出てくるようです。
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「紅葉」は・・・イマイチですかね。でも、まぁ~若干は楽しめました♪
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山の上の方には・・・こんなのが・・・デッカイ!!
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ここで、「富山県高岡市」についてですが・・・
高岡市は、富山県の西部の中心地になります。江戸の頃は加賀藩にとても近い家柄でした。
銅器が有名です。
高岡銅器(銅合金鋳物)は、加賀藩前田利長が産業振興策のひとつとして、慶長16年(1611年)現在の金屋町に鋳物発祥の地である河内国丹南の流れを組む7人の鋳物師達を招き、鋳物工場を開設したことに始まります。
当初は、鉄鋳物が中心でしたが、江戸時代中頃から銅合金鋳物も盛んになりました。明治期には、万国博覧会を通して世界にも紹介され、高岡の美術銅器は一大輸出産業としての地位を築きました。
と、・・・言うことで、こんな釣鐘の製作も行われてます。

大伴家持」・・・名前は記憶にありますネ ^_^;

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万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父安麻呂、父旅人と同じく政治家として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間に中納言まで昇る。

天平10年(738年)に内舎人と見え、天平12年(740年)九州の大宰府にて藤原広嗣が起こした乱の平定を祈願する聖武天皇の伊勢行幸に従駕。天平17年(745年)に従五位下に叙せられる。

天平18年(746年)3月に宮内少輔、7月に越中国国守に任ぜられ、天平勝宝3年(751年)まで赴任。この間に220余首の歌を詠んだ。
WikiPediaからの転載です。)