東京・上野公園の、その一部分(^^♪

正しくは「上野恩賜公園」と言うのかな?
 ホームページがありました。 → http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html

ここは、桜の頃にはTVでも必ずと言っていいほど紹介される「絶好の花見場所」辺りです。
この季節は・・・何もありませんけどね。^_^; (看板だけは有るかぁ。)
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丁度、昼時。アンデス音楽の路上演奏をやってました。「ロス アウキス」と言うグループだそうです。
・・・実は、この音楽、好きです。(^^♪ テンポといい、メロディといい・・・元気が出ます♪
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正岡子規記念球場

子規と野球
子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、明治22年(1889年)に喀血してやめるまでやっていた。ポジションは捕手であった。自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともある(ただしベースボールを野球(やきゅう)と訳したのはこれより後、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)が始めである。野球を参照のこと)。また「まり投げて見たき広場や春の草 」「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」などと野球に関係のある句や歌を詠むなどしており、文学を通じて野球の普及に貢献したといえる。これらのことが評価され正岡子規は平成14年(2002年)、野球殿堂入りを果たした。

なお、正岡子規が「野球(のぼーる)」という雅号を用いたのは中馬庚が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前の1890年である。つまり、「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬庚であるが、読み方は異なるが「野球」という表記を最初に行い、さらに「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」と日本語に訳したのは正岡子規である。
WikiPedia から転載しました。)

この碑にある詩は、「春風や まりを投げたき 草の原」と、ありました。
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上野大仏 → 西尾美也の「Overall」イベント?

こうして取り上げたものの・・・!!?? 何だかよく分かりません。(^^ゞ
最近の若いもんのすることは・・・意味が分からん!!イメージ 9
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